わざと不便にする
わざと不便にする
よく「便利だから」との理由だけで、何事も選択してしまう人が多い。
しかし、便利さの代償は何か、考えていない人も少なくないように思う。
携帯電話の弊害は、もはや世の中ではある程度認識されているだろう。
パソコンもそうだが、ネットと切り離せない人たちが増殖しつつある。
自分も便利さを享受しているわけではあるが。
ただ、それでも線引きは要る、と思っている。
現状、ラインやフェイスブックは、一切手を出す気がない。
中毒性を加速する代物だというのが、見え見えだからである。
最近「既読無視」とか「いいね」とかの弊害が言われ出したようだ。
しかし、それって、最初から分かっていることじゃんと思う。
戦争が始まる前、始まってから、どうして誰も止められなかったのか。
それは「空気」の存在があるからだ。
「空気」や「流れ」は、個々のユーザーの勝手に止められないのである。
ネットワークは、それを加速する性質を最初から組み込んでいる。
では、歯止めが利かなくなる事態を防ぐにはどうするか。
それは、便利なものを、わざと不便にすることしかない。
流れをせき止めるプロセスを、意図的に組み込むのだ。
わざと、意識的に一回立ち止まる場所を作るわけである。
ただ、短期的にしか物事を見ることができない人には通じない話でもある。
良識とは、中長期に物事を見る人にだけ宿るものかもしれない。
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