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2018/08/20

「大和研究所は憎悪の対象だった」ThinkPad誕生秘話

「大和研究所は憎悪の対象だった」ThinkPad誕生秘話

 これは、あのDOS/Vの時代を知る人間には必読ですな。


「大和研究所は憎悪の対象だった」――初代IBM PC開封の儀で明らかになった「ThinkPad誕生の奇跡」
2018年08月15日 15時29分 公開
[長浜和也,ITmedia]

 すごいです。


「俺は二重スパイだった」

 バンドワゴン・プロデュース代表取締役社長の加藤徳義氏は、元IBM Mobile Computing GM補佐を務めていた。大和研究所が中心となってノートPC事業(これがThinkPadにつながっていく)を立ち上げようとしたとき、大和研究所と米IBMの連絡役として1991年に米国に渡っていた。

 一方の米IBMはPC事業を「やればやるほど損」と評価していて、できることならPC事業を早々に売却したいと考えていたという。そうした背景からノートPCに対しては最初から「日本にやらせるつもりはなかった」と加藤氏はいう。

 そのような事情を知る日本IBMからは「ノートPC事業立ち上げを快く思わない米国IBMの内情を探り、じゃまする動きがあれば伝えよ」という諜報員としての任務も与えられていた。

 しかし、米国に到着した加藤氏は米国IBMから「日本IBMの動きを逐次報告せよ」と命ぜられる。米国IBMが日本人の加藤氏にスパイになれと指示した理由には「あなたはPS55や5550(の事業に関わっていないので)に対する愛情はないから、PC事業部をなくすことに抵抗がないだろう」という思惑があった。

 うひゃー。
 しかも、10年で売却される運命が決まっていたなんてのも凄い。

 懐かしいですね。
 いや、おっさんになったんだなと、しみじみ。

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