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2020/01/28

違和感の正体は何か

違和感の正体は何か

 以下は、純粋な日本語の問題、という理解で。

仙台高裁、岡口裁判官の懲戒申し立て 「FBで遺族侮辱」―異例の2度目
時事通信 2020年01月27日18時55分

「遺族が同判事を国会の裁判官訴追委員会に訴追請求したことを取り上げ、『遺族は俺を非難するよう洗脳された』などと投稿した。」

 下記で、これについてのご本人のコメントがあります。
 ただ、何度読んでも、違和感を感じる文章です。

 (略)

 その後,遺族の方々と東京高裁との交渉が続きましたが,それを経て,遺族の方は,「本件判決書がネット上にアップされることは何ら問題がない。事件のことを世の中に広く知ってもらい,今後のために役立ててもらうことは被害者としても望ましい。」という趣旨のコメントを出しました(毎日新聞が報道)。

 ところが,このように本件判決書の掲載について遺族の方々の理解が得られたにもかかわらず,東京高裁は,私が本件ツイートをしたことについて厳重注意処分としました。

 (略)

2019-11-18 「洗脳発言」報道について
分限裁判の記録 岡口基一

 遺族の方は、東京高裁での判決書ネット掲載に理解を示した。
 しかし、コメントを付けてツイートすることに理解を示したと同義ではないですね。

 なのに、なぜ、上記の文章で「ところが」という接続詞がついているのでしょうか。
 というか、いつのまにか「このように」で、遺族は全面理解した前提になっている。

 結論から言えば、この文章には、論理飛躍がありますね。
 それが違和感の正体。

 厳しく言えば、本来使えない接続詞で無理につないだことで。
 その後に、自分に引き寄せた流れの論述につなげようとしていると見える。

 いや、別に私が指摘するまでもない話だと思うのですけれど。
 誰も突っ込まないのか、不思議でしょうがなくて。

 あ、あくまでも、日本語の問題です。
 法律素人である私に、それ以上のコメントをする能力はないのですから。

 

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