« 台風10号に警戒しましょう(台風9号の次) | トップページ | 新型コロナから見えた日本の弱点 国防としての感染症_村中璃子 »

2020/09/03

石破茂という政治家(舛添要一)

石破茂という政治家(舛添要一)

BLOGOS 舛添要一2020年08月30日 15:46
石破茂という政治家

 非常に面白いのが、褒めているつもりなのに。
 実は、対象者の欠点を顕にしてしまっているという点。


 派閥を作るとか、金集めをするとか、部下に兵糧をばらまくとか、そういうことに長けていない。
 そこで、周囲に人が集まらず、「人望がない」などと陰口をたたかれる。
 しかし、政策立案能力、風格からして、日本のリーダーにふさわしい人材である。

 別に金をばらまかなくても、人望がないと言われない人はいるわけで。
 接続詞「しかし」の前は、全く理由になっていない文章なんですよね。

 そのことに気がつけば、では、何故人望がないのかという話になり。
 関係性の構築能力が絶望的に欠落している可能性がクローズアップされる。

 一方通行で、自分の主張をアナウンスすることで、大衆受けはよくても。
 相手がいる世界で、どう足し算引き算するかが、政治で必要な能力だとすれば。

 これまでの経歴を踏まえると、全くその種の能力を確認する機会はない。
 むしろ、過去の離反など、懸念をもたせるエピソードに事欠かないだろう。

 そのあたりを踏まえて読めば。
 褒めているつもりで、実は背後から蹴り飛ばしている文章ということになるわけです。

 いや、書いた本人は、決してそんなこと思っていないでしょうね。
 読んでいると、よくわかります。

 みんな知らなかっただろう、俺だけが分かっていたんだぜ、感満載ですから。
 しかし、舛添氏自身の絶望的な人望のなさを重ね合わせると(以下略)。

 それにしても、舛添氏もかつては気鋭の学者として注目された時期があり。
 その時期に彼を評価した人たちって、彼の何を見ていたのでしょうね。

 我々は、今になって彼らを見るから、そういう目で見ることができますが。
 今のような情報がないときに、彼らの行く先を見据えることができたか。

 我々は、人を見る際に、どこをどのように見るべきなのか。
 そこを考える上では、過去に評価していた人たちの話を聞いてみたいですね。

 今輝いて見えるあの人は、本当にそのように評価して良いのか。
 いや、日々はプラクティスというのが、東丈の教えですから。

 

|

« 台風10号に警戒しましょう(台風9号の次) | トップページ | 新型コロナから見えた日本の弱点 国防としての感染症_村中璃子 »

ニュース」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 台風10号に警戒しましょう(台風9号の次) | トップページ | 新型コロナから見えた日本の弱点 国防としての感染症_村中璃子 »