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2026/05/03

見ている母集団が違う

見ている母集団が違う

 

Xなどの論争を見ていて、時折現れるのが、事実の争い。

 

「私の周りではこうだ、他はいない」

「いや、私の周りではこうだ、そんな人はいない」

 

こういう争い、相当ありますよね。

 

ただ、見ていて感じるのは、論者が想定している母集団の違いについて、双方あるいは少なくとも片方が意識していないことが多い、ということです。

 

現実世界では、偏りのある、不均一な分布状況のものが少なくないわけですが。

無意識に、均一な分布状況を議論の前提に置いてしまっているのですね。

 

数学を勉強することの意義の1つは、こういうところでして。

議論の際に、仮定が成立するかどうかを問う、という姿勢が必要になることのトレーニングになります。

 

学校の勉強は役に立たない、数学なんて実社会で使わない、それでも俺は私は生きていけている、という人は、結構いるように感じます。

ただ、それは、それでも生きていけているというだけですね。

 

世智を活かして、より良く生きていけていることにはなりません。

別に大学に行かなくても、賢い人は賢いのですが、それは自身が学んだことを、実務含めてフル活用していることが多いと感じます。

 

みんな、大学か専門学校行くのが当たり前になって、いわゆる高学歴の人は増えたのだと思いますが、本当の意味で学問を自分のものにできている人って、ますます減ってきているような気がします。

 

自分の生きている世界だけを見て、他人を測る人が増えてきていることは、とても危険だな、と感じざるを得ません。まぁ、老いの繰り言になるのかなぁ。

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