メモをとらないことが何を生むのか_東洋経済ONLINE
授業に集中できない子どもが増加?学力低下の背景に消えた"昭和・平成世代には当たり前の習慣"
西岡 壱誠 : ドラゴン桜2編集担当
東洋経済ONLINE 2025/10/24 13:00
https://toyokeizai.net/articles/-/913162?display=b
授業のデジタルツールの影響で、生徒がメモをしなくなっていると。
昔でいうところの「手で書いて覚える」というのはもう死語なのですかね。
ただ、記事から離れますが、学習の1つの大事な要素として、復元力があると思うのです。
それは、かつては書く力とセットで育ったのだとも。
今や自分ではもう手で書く力を失って、パソコン依存になっていますが。
それでも、その手前は、手で書くことで、見たものを復元していました。
復元することで、記憶に刻む、そしてそれを繰り返す。
繰り返すことで、大事な知識や文章が頭に残るようになる。
それを蓄積し、組み合わせることで、自分の思考が始まる。
ある意味、それは、集積効果が生まれることだとも思えます。
しかし、メモをとらず、目で見てわかったと思うことは。
一部の天才以外には、集積効果を生まない懸念があるように思います。
集積効果というのは、ネットワーク効果とも言えます。
単純にデータを集めても、コンテキストがない限り、そこには「知」は生まれない。
逆に言えば、コンテキストを背景にデータが与えられることで、初めてそこに「知」が生まれる。
多分、それは生成AIだろうと、脳だろうと同じだと思います。
将棋のAIは長らく人間に勝てませんでした。
しかし、価値判断基準を与えることで、飛躍的に能力を拡大させ、今や人間がほぼ勝てないところまで来ました。
単純にデータを積み重ねるだけでは、飛躍は起きない。
でも、何故か、学校の勉強は、そういう飛躍の起きない勉強をさせたがるし、多くの親たちもそれがよいと信じている気がします。
最近、理解しているようで理解していない、ハリボテ理解が増えているとの話は先日も読んだような気がしますが。
根底は、このあたりにあるのかもなと思います。
いや、まぁ、実際の子供たちに接してみないと、本当の答えはわかりませんね。
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