カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の186件の記事

2025/06/21

批判する人間が受けやすいのは

批判する人間が受けやすいのは

 

 どうして批判する人間が他人より受けやすいのか。

 それは簡単で、自分の不整合が、他人にバレにくいから。

 

 批判される側は、自分の不整合を衝かれるので。

 整合性を持った対応をするのに苦心するし、対応への失敗も多い。

 

 しかし、批判する側は、たいていの場合、攻撃だけなので。

 自分の不整合を衝かれる可能性が低い。

 

 結果、批判する人の人気が高くなりやすいわけですが。

 これは、錯覚効果が混じっている場合が少なくないですね。

 

 その意味で、批判、攻撃する側が、守る側になると。

 いろいろと、不整合が吹き出す事例が多い。

 

 2009年から2012年の民主党政権時代においては。

 官僚を外せば上手くいくと言いつつ、すぐに機能不全になって。

 

 後で方針撤回した、という記憶を持っている人たちも少なくないでしょう。

 更に、その後の2011年の東日本大震災対応のまずさが輪をかけたというべきですが。

 

 それでも「一度やらせてみてください」に乗ってしまった人たちも多かったわけですが。

 その結果がどうだったかは、言うまでもなく。

 

 そして、今、石破政権がどうかですが。

 

 彼は、安倍首相批判の加計問題で、自分のポジションが不整合ではないかと。

 問われた事件が既に存在していました。

 

加計参考人招致で安倍首相批判 どこか人ごとの石破茂氏に再び火の粉

産経新聞 2018/5/21 01:00 (政治部 沢田大典)

https://www.sankei.com/article/20180521-CJK2EPPJC5INDOQXFD2NX254F4/

 

「安倍下ろし」歪曲報道パニックにみる10年前と酷似したメディアの構図

櫻井よしこ:ジャーナリスト

櫻井よしこの論戦――頼るな、備えよ

DIAMOND online 2017.8.10 4:50

https://diamond.jp/articles/-/137989?page=2

 

「少ない人数の獣医師が皆、倒れそうになるまで働いているのを見ながら、加戸氏は獣医学部新設を許さない鉄の規制、獣医師会と文科省をどれだけ恨めしく思ったかしれないと、語る。いちばん強く反対したのが日本獣医師会だと、加戸氏は本当に口惜しそうに語った。」

 

「2年前の2015年9月9日、地方創生担当大臣だった石破茂氏を、「日本獣医師政治連盟」委員長の北村直人氏らが訪ねたときの様子が、日本獣医師会のホームページに掲載されている。石破氏の言葉としてこう記されている。」

 

「「今回の成長戦略における大学学部の新設の条件については、大変苦慮したが、練りに練って誰がどのような形でも現実的に参入は困難という文言にした」

 

獣医学部新設を絶対に阻むべく、規制を強めたと言っていることが窺える。具体的にはそれは獣医学部新設のハードルを上げてきわめて困難にした「石破4条件」を指すとされている。」

 

 石破氏自身は発言を否定したとの話もありましたが。

 「石破4条件」との整合性は、公式には何も語られなかったと記憶します。

 

 つまり、彼もまた、批判する時は良くても、不整合を問われると。

 途端に困る可能性がある政治家の一人だったのではないか、と感じてしまいます。

 

 その人を信じる際に、最も大事なことは、整合性です。

 全てを人間は完璧にはできないので、不整合を衝かれることもある。

 

 しかし、その時に、どうしてそうなのかの理由はきちんと明らかにすべきだし。

 間違いなら、間違いで、適宜修正していくべきでしょう。

 

 私自身は、自分をきちんと律する自信なんてありませんから。

 政治の世界には近づかないことを信条にしていますけれど。

 

 国民の一人として、何をどう見るかだけは、きちんとしておきたいなと。

| | コメント (0)

2025/05/18

何とかに刃物

何とかに刃物

 

 ことわざで、何とかに刃物ってのがありますね。

 危ない人に、危ない武器を持たせるな、という警句です。

 

 刃物自体は、誰が持っても危ない。

 しかし、危ない人に持たせると、一層危ない。

 

 ここで、ちょっと視点を変えて。

 武器の扱いが上手な人たちがいるとしますね。

 

 まぁ、職業武人だとしましょうか。

 その人に武器を持たせることは、どういう意味を持つのか。

 

 もちろん、職業武人だって、いろいろで。

 一般人よりも温厚、慎重な人だっているでしょう。

 

 しかし、職業武人の中には、ヤバい人もいるわけです。

 その時に、武器を持たせる危険は、職業武人でも、他でも同じと言うか。

 

 言うわけがありませんね。

 いざという時の危険度は当然に増しますから。

 

 不思議なことに、当事者になると、その奇妙な理屈を言う人がいるのです。

 それも、1人や2人ではない。

 

 この現象に何かネーミングができないか。

 最近、考えているのですが、ピンとくるのがないなと。

| | コメント (0)

2024/10/05

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」(室生犀星)

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」(室生犀星)


小景異情 その二

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食かたゐとなるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

抒情小曲集 室生犀星(青空文庫)
https://www.aozora.gr.jp/cards/001579/files/53241_49665.html


 ふるさとは、望郷の念を抱かせる存在だ。
 ただ、それへの向き合い方は、人によって異なる。

 大好きでも戻れない場所、というのはある。
 ふるさとがそうだ、ということも少なくはないだろう。

 自分の生誕の地としてのふるさとは今いる場所だけれど。
 これまでの自分を育んでくれたのは、当地だけではない。

 その意味で、自分にはふるさとは1つではないと思うことがある。
 その場所に、いつか戻れる日が来るのだろうかとも。

 ただ、それは全て神の配剤なのだろう。
 日々、自分なりに、一生懸命生きていくしかないと思っている。

| | コメント (0)

2023/02/03

「その人を全面的に信じる」は間違い

「その人を全面的に信じる」は間違い

 誰かを信じること。
 あるいは信念を持って行動すること。

 それらは、素晴らしいと賞賛されることが多いですね。
 そして、それに値することも少なくありません。

 しかし、ある人の言葉を全面的に信じるのだけは間違いだと思うのです。
 どんなに素晴らしい人でも、その人にとっての最適化しているのに過ぎません。

 よくよく自分の価値観・知見や自分の体験と照らし合わせれば。
 矛盾を生じてしまうことは多々あるのです。

 そこで、自分が間違いかもしれないと思うことは。それほどおかしくありません。
 しかし、その疑いを超えて、自分を殺し、相手を全面的に信じるのは間違い。

 自分の体験上のことで言えば、過去に出会った素晴らしい師は何人もいるが。
 この人の言葉に全面的に付いていくべきだと思った人はいません。

 やはり、どこかで、自分の価値観との違和感が生じるのです。
 それは、都会と田舎との違いであったり、世代間ギャップだったり。

 あるいは、ある人物への評価の違いだったり。
 その人の評価している人が、自分には忌むべき存在に見えてしまったことも。

 そんな時に、師の言う事だから、全て受け入れるというのはありえない。
 実際、後になって、師が言うことを変えたこともありました。

 「だから俺が正しかった」ではないのです。
 だって、自分も間違っていることがあるのですから。

 大事なのは、自分の価値観における整合性と他人の価値観との関係。
 両者が、全てのジャンルで完全合致することはないのです。

 どこかでズレがあるわけで、むしろそれは意識すべきです。
 その上で、その人を許容し、付き合っていけるかが大事。

 もっと言えば、誰かを完全に信じるという、人を信じるやり方は危うい。
 おかしさに気がつけなくなるからです。

 その人を信じる自分が、その人をおかしいと疑うことは矛盾。
 だから、脳が自分を騙そうとするわけですね。

 後から、人を信じなさい、ということの怪しさを認識すべきです。
 その人の語る言葉が自分という主観のみならず、事実という客観と整合的かってことですが。

| | コメント (0)

2022/05/28

「大人の対応をしろ」と言う人は「泣き寝入りしろ」という人ばかり_mhl氏twitter

「大人の対応をしろ」と言う人は「泣き寝入りしろ」という人ばかり_mhl氏twitter


mhl@元南カリフォルニア移民@mhl_bluewind

これまでの人生で「大人の対応をしろ」って言う人に何回か遭遇しましたが、「泣き寝入りしろ」「黙って言う通りにしてろ」「面倒ごとを起こすな」っていう加害者側の人ばかりでしたね。

午前11:23 2022年5月15日 Twitter for iPhone


 少なくとも、今のルールや運用がおかしい時、黙って我慢しろだけで終わるのは。
 現体制側、つまり、加害者側と言われても仕方ないんだろうな。

 耐えてどうするのか、その先どうするのか、まで語らないと。
 我慢させて終わりってのは、実は利敵行為だというのは、その通りなんだろう。

 なので、そういうことを言ったことある人は、自覚した方がいいでしょうね。

 で、私自身が、今までにこういうセリフを言いたくなった案件についていえば。
 相手にも問題あるけど、あなたも相当問題あるだろう、というケースばかりでした。

 その場合でも、大人になれ、とかは言いませんでした。
 代わりに、あなた自身の行為も相手にとってはこう映っているのはどう思うのかと聞いてみました。

 ただ、その問いに対しては、皆、答えられないままでしたね。
 自分の「間違い」より、相手の「間違い」が絶対、なんだろうなと。

 私の出会った例に限りますが、皆さん、強情でした。
 素直さや、反省ということがない人たちばかりでしたね。

 いや、この俺だって、あなたに相当我慢しているんだよと。
 最後の方では、直接口にしてしまったケースもあったかもしれないな。

 ま、経験数豊富とまで言いませんが、何人かの対応経験談です。

| | コメント (0)

2022/04/29

小説やテレビで見る以上の悪い人たちは存在する

小説やテレビで見る以上の悪い人たちは存在する

 自分の姪や甥たちに伝えたいことですが。
 一番は、世の中には、小説やテレビで見る以上の悪い人たちは存在するということ。

 まさか、と思うレベルの悪意・害意を持った人たちはいる。
 そして、経験がないと、その人達に、気がつけない場合も少なくない。

 万人を疑え、というつもりはありません。
 ただ、頭の片隅に、そのことを置いておいてほしいのです。

 いざというときに、「もしかして」で立ち止まる契機になるかもしれないから。
 そうでないと、違和感に気がついても、まさかと思ってしまうかもしれない。

 「いや、考えすぎだと思うけど、念の為」
 それで胸を撫で下ろすことがあるかもしれない、そんな気持ちです。

 私が今ここにいるのは、過去にその悪意から偶然にすり抜けたからに過ぎない。
 そのことを自覚しているから、というだけのことです。

| | コメント (0)

2022/03/15

真面目で終わってはいけない

真面目で終わってはいけない

 真面目なことって、大事なことだと思います。
 何かをするのに、不真面目ではできないことって多いですから。

 だから、最初に真面目さが必要なのは間違いない。
 しかし、いつまでも、真面目だけではダメなんですよね。

 不真面目というのではなくて、真面目さだけでは世界が狭くなる。
 広い見方、違う見方を許す許容力を持てるようになる必要がある。

 頑固一徹の職人芸って、割合評価される傾向にありますが。
 実は、これってほとんどの場合、ダメなんですよね。

 体験で言えば、本当の一流あるいは超一流は、マーケットを無視しない。
 自分だけを見て、相手を見ないのは、自称一流だけでしょう。

 マーケットに過大依存するのは論外であり、技術の裏打ちは要ります。
 だから、真面目さは、一定程度必要なスキルです。

 しかし、真面目さだけで終わってしまうと、実は不幸になる。
 そう、不幸への片道切符であることが多いのですよね。

 気がついているけど、変えられないという人もいるでしょう。
 どうするか。

 多分、秘密の趣味を作ることが、1つの解決策なんでしょうね。
 別に人に言えない類というのではなく、自分を知る人に知らせない趣味。

 そこで自分のやりたいことをやってみることで、違う自分が見える。
 押してもダメなら引いてみな、というのが見えてくる可能性が生じる。

 ま、「やってみなはれ」ですね。


| | コメント (0)

2021/05/30

「あなたを……とは見ない」と宣言してしまうのはどうなのだろうか

「あなたを……とは見ない」と宣言してしまうのはどうなのだろうか

 差別問題は、既に予測不能レベルに拡散してしまって、世の中地雷がどこにあるか分からない。
 うっかり地雷を踏んでしまう危険性は常に存在する。

 で、1つの対応策、というのでもないのですが。
 事前に、「私はあなたを……とは見ない」と宣言してしまうというのはどうなのだろうかと。

 あ、相手が、ある程度、そういうことを気にする方だ。
 というのがわかる場合に限りの話なのですが。

 仮に「……と見てほしい」と言われれば、今後、そういう前提の取扱は承認されたと。
 事前同意ありということで、差別ではなく区別だとの推定が働きやすくなるでしょう。

 また、文句がでなければ、まさにそのように取り扱うということを自意識に刻める。
 あ、この段階でアプローチを間違えないよう注意すべきなんでしょうけど。

 とは言え、口でいうほどかんたんなことではないでしょうから。
 あくまでも思考実験というのに留めますが。

 それにしても、いろいろやりづらい、難しい時代になりましたね。

| | コメント (0)

2020/11/06

「きちんと説明すべき」とは

「きちんと説明すべき」とは

 結構、無意識に使ってしまう言葉だが、厄介な言葉。
 そのうちの1つが「きちんと」でしょう。

 何をもって「きちんと」なのか。
 実は、言っている人間自身が、明確に意識していない。

 「明確に」の意味なのか。
 「ルールに準拠して」の意味なのか。

 あるいは両方の意味なのか。
 それとも、違う意味を込めているのか。

 ちなみに「丁寧に」だと、ほぼトートロジー。
 だと、以前から思っているのですけれど。

 多いですよね、「きちんと」を使う人。
 私自身は、できるだけ使わないようにしています。

 どうしても使うことがないわけではありませんが。
 少なくとも、議論の文脈で「きちんと説明すべき」は使わないつもりです。

 しかし、新聞やテレビ、あるいは周囲でなにか言っている人たちの中には。
 「きちんと説明すべき」多用者があまりにも目立ちます。

 そういう人たちに、是非聞いてみたいですね。
 あなたは「きちんと」ってどういう意味で使っているのと。

 いや、無自覚だとわかって聞いているので、嫌味にしかなりませんが。

| | コメント (0)

2020/10/25

アカデミアは魔窟

 アカデミアは魔窟

 以前から、気に食わない文章を書く人だと思っていました。
 スノビーというか、自分に酔っているというか。

 だから、その人の書いているものには、依拠できないなと。
 そして、その人のお弟子さんたちが言っていることも、正気を疑うレベルでしかない。

 でも、世の中的には、自分がおかしいと評価されるんだろうなと。
 なにせ、相手は、象牙の塔の最上階に住む学者であり、凡人には及ばない世界の人。

 ただ、それでもそれに媚びたくはないと思っていました。
 権威に媚びて、自分の価値観を、自分を育ててくれた人を裏切りたくないから。

 近年、その人の言っていることがおかしい、ということが。
 徐々に、いろんなところで出始めて。

 ようやく、炸裂する事件がおきました。
 学者の中でも、やはり違和感持っている人たちがいたこともわかって安堵。

 ただ、アカデミアは恐らく魔窟なので、なかったことになる公算も少なからず。
 今後の動向を見守っていきたいと思います。

 で、もっと正統派の学問が評価される世の中になればいいですね。
 子供の頃、漫画家の次に学者になりたかった落ちこぼれは、そう願っています。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧